昔から、小说やエッセイなどを読む际に心惹かれるシーンがある。
それは例えば食事の场面であり、また家事雑多をこなしている场面である。
何故かは分からないが、そういった场面の描写に心跃る。
「センセイの鞄」 (川上弘美著 )を読んで、やっぱりそういった场面が好きだなぁ、としみじみ思う。
月子とセンセイが居酒屋で日本酒と肴をつまんでいるシーンがよく出てくる。
例えば食べ物の描写、食べ方の描写、その时の话题、雰囲気、全てが気になる。
例えば月子が休日にダラダラと过ごし、风吕に2时间も入っている场面が気になる。
例えば月子が蛍光灯を取り替えようとして上手くいかない场面も気になる。
本筋とは殆ど関系无いシーンの筈なのに、どうも気になるのだ。
例えばエッセイで、面白おかしく日常を描いたものなんかでも、
洗濯物をしたり、料理、片づけ、そういう场面が出てくると、ああ、いいなぁと思う。
「家庭に憧れる」というのではない。
何故なら、独身男女が一人でそういった事をしている场面に特に惹かれるだからだ。
なんとも、そういう人生の基盘である「生活」を疎かにしていない感じ、
一所悬命生きている感じというのが心地よいのかもしれない。
淡々と、当たり前の事を当たり前にこなしている姿、こういう姿は见ていて気持ちが良い。
読了后には、さて、自分もきちんと「生活」をしていこう、と姿势を正す。
(たいてい长続きはしないのだが。)
「生活」は、意外と疎かにされているのではないかと思う。
やって当たり前、めんどくさいけどやらなきゃ、そういう风に思うだけで、素通りしてしまうのではないか。
本当は、こういう「生活」の「色合い」や「浓淡」というのは、少なくとも私にとって一番面白い。
だが、ひとたび喜怒哀楽による激しい「色」が登场すると、弱々しい「生活」の「色」は消えてしまう。
残念な事だ。
幸いな事に、私は现在无职という结构な身分に身を置いており、
「生活」の「色」を楽しむには十分过ぎる程の时间と余裕がある。
また、外出もたまにしかせず他人と余り接触を持たない为、
喜怒哀楽の激しい「色」に邪魔される事なく「生活」の「色」を楽しめる。
こんな时期、人生のほんの何百分の一にも満たないんだろうな。
大切に过ごそうっと。